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インタビューその1:震災発生時の状況

最初の情報発信は地震発生から約3時間後

植木:昨年の震災時には、不眠不休で新潟県としての情報発信の陣頭指揮を執られたとお聞きしました。もう最近は落ち着かれてきたのですか?

市川氏:はい、おかげさまで、震災情報の発信についてはだいぶ落ち着いてきました。ただ、被災地は余震の長期化や豪雪で大変な状態が続いています。はやく、地域の皆さんの笑顔が戻ればと思っています。この震災にあたり、国内外を問わず、大変多くの皆様から温かいご支援を様々な形で頂戴しています。まずは、そのことに心より感謝申し上げます。

植木:最近は講演や雑誌取材などで新潟と東京をかなり往復されているようですが?

市川氏:はい、"災害情報" に関するものと "アクセシビリティ" に関するものについて、いくつか講演などのご依頼をいただきました。震災については、ある程度今回の震災で感じた課題を、少しでも早めにお話ししていろいろと考えていただいた方が良いと思っています。

植木:スマトラ沖地震の津波災害などを見ても、災害発生時の情報発信においてインターネットが果たす役割は重要ですものね。

市川氏:そう思います。被災者への伝達手段としては高齢者の利用など多くの課題がありますが、全体としては近年の急激な一般家庭への普及もあり、全体としては非常に重要なものにすでになっていると思います。

植木:地震発生時の状況からお聞きしていきたいと思います。地震が発生した時には、市川さんはどこにおられたのですか?

市川氏:私は自宅にいました。そして、家族の無事を確認してからすぐに県庁に向かって、Web サイトからの情報発信を行う準備に入りました。

植木:県の Web サイトでの情報発信はすぐに開始できたのですか?

市川氏:最初の情報発信は、地震発生から約3時間後の夜9時ごろでした。少し時間がかかってしまいましたね。

『地域防災計画』にインターネットが盛り込まれていなかった

植木:やはり県庁内はかなり混乱していたのですか?

市川氏:そうですね。まず各自治体が定めている『地域防災計画』というのがあって、当然ながら新潟県にもそれはあるのですが、実はかなり前に作られたものでして、Web サイトからの情報発信というのが盛り込まれていなかったんですよ。

植木:そうすると、誰が何をやるといった役割分担が明確ではなかった?

市川氏:県庁内に "新潟県地震災害対策本部" というのが設置されたんですが、その中で広報班というのがあって、その地域防災計画に基づいて組織されたんですが、テレビやラジオによる広報は想定されていても、Web サイトが入っていなかったのです。そこで、県の Web サイトを運営している情報政策課から急遽2名が追加で入って、サイトからの情報発信と電子メール等での問合せや要望に対応するという役割を担いました。

植木:『地域防災計画』に Web サイトが盛り込まれていなかったということは、当然他の自治体もそうなのでしょうか?

市川氏:おそらくそうだと思います。インターネットが普及する以前に各自治体で作成してますから。

植木:今回の震災を機に見直しはされましたか?

市川氏:災害広報については、現在情報政策課内で見直し作業をしています。これから全体の見直し作業が始まるので、そこに盛り込んでもらう予定です。災害広報以外にも、インターネットの効果的な活用の場はありますので、これからはその点も検討する予定です。これだけインターネットや携帯電話が普及してきている中で、その果たす役割はとても大きいですし、新潟県ではすぐに見直しに入りました。最近、他の自治体からもそういった問合せがあったりしますので、あちこちの自治体でも見直しがされ始めているのではないでしょうか。

植木:携帯電話での情報発信も同時に開始されたのですか?

市川氏:携帯コンテンツのほうは、PC版より1時間後くらいでした。地震発生から約4時間後に携帯電話向けポータルサイトを開設できました。

ポイント1:震災発生時

  • 県の Web サイトからの情報発信は、地震発生から約3時間後
  • 『地域防災計画』にインターネットを盛り込むのが急務
  • 携帯コンテンツは、地震発生から約4時間後に情報発信開始

新潟県中越大震災の教訓『災害時の情報発信とアクセシビリティ』

インタビューはまだまだ続きます(順次公開予定)。

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